【前回から続く】

 壮大なる愚痴をこぼします。これを読んで気にいらない方、気に障る方は破り捨てて下さい。

女房が3月16日に亡くなって約三か月半経ちました。四十九日と納骨を無事に済ませました。ここまでにお気遣い下さった方には改めてお礼申し上げます。

ここから愚痴の始まりです。

今回の葬儀は基本は家族葬で行いました。ただし、仕事のキャンセルや日程延期等の相応の連絡をせざるを得ないため、一握りの関係者の方々にはお知らせしました。また、Facebookに女房の病気の推移などを投稿していたため、亡くなったことは一定の方々は知ることになりました。どちらかというと急死の状況だったため、ほとんど準備もなく慌ただしい1週間になりました。

これに際して、多くの方々よりお香典やお供物が届きました。正直、嬉しかったです。気持ちが落ち込んでいる時のお気遣いには本当に勇気付けられました。ある税理士の方からは香典に手紙が添えられており、その心使いには涙が止まりませんでした。

また、10年近く会っていない方や、それほど近しくしていない方から送られて来たのには驚きました(そうか、自分のことを想ってくれたのだと)。

しかし、この数年間で仕事上やプライベート上でも濃い関係があると思っている一部関係者の方で、ほぼ音沙汰がない方もありました。(いや、お金が欲しいのではなく)気持ちが欲しかったのです。ただ、その気持ちというのはどう表現するのが一番良いのか、残念ながら「物やお金」でしか形が作れません。

 元総理大臣の田中角栄さんの逸話があります。

「ご祝儀より不祝儀だ。つまり婚礼より葬式が大事だ」と。人の心を掴む天才といわれた人です。

旧社会党の代議士(角さんの政敵といわれた人)の親族が亡くなったときに、秘書に香典として50万を持って行けといったそうです。秘書が出ようとするときに「ちょっと待て、俺が行く」と葬儀に自ら出向いたそうです。自ら行ってお線香をあげる。遺族にしてみればこんな有難いことはありません。

他人にお金を上げる行為は、お布施といって、ある種の人生修行です。他人のためにいかに自分を犠牲に出来るか常に試されています。

私自身も今までにこのように他人を思いやる心があったのかどうか、いや、出来ていなかったと、自省しています。

女房の葬儀はほぼ親族だけの参列者でした。その中に私が約53年間お世話になっている、高校から神奈川大学の1年先輩のWさんが来てくれました。(普段はそんなに会うことはないのですが)これには本当にびっくりしました。その気持ちが有難くて涙が止まりませんでした。

 配偶者の死はかなりきついです。これから多くの高齢者がこの世を去ります。

どうか寄り添う気持ちをお願いします。今回与えられたお気遣いは決して忘れません。

関係者の死に際しての対応によって、その人の真価が問われていると思います。 

 

 

 

 

 

 

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