札幌の介護施設に住む94歳の母親からたまに電話がある。

ご飯はちゃんと食べているのか、仕事はまだやっているのか、洗濯は自分でやっているのか、洗い物はどうしているのか、女房が居なくなった(3月に逝去)後の息子の生活がとみに心配らしい。

そんなに心配しなくていいよ、といっても電話の度に必ず聞いて来る。しかし、71歳になる息子を思い、本気で心配してくれる人はこの世で他にはいない。唯一無二の有難い存在だ。

未だに認知症の気もなく自分で何とか歩ける。言葉もしっかりしているが、最近になって白内障が進み、テレビがほとんど見えないというので手術を勧めている。

 

樺太(からふと)引揚者だった母は、病弱だった夫に嫁いだお蔭で苦労の連続だった。

小さい身体で身長は142㎝しかないが、生活のために重労働をした。美輪明宏さんのヨイトマケの唄を聞くと自然と涙が出る。

都会暮らしのサラリーマンの人には絶対に分からない環境で子供時代を過ごした。だから仕事をすることに何の抵抗もない。いや、貧乏暇なしの如く、長期間遊ぶことを知らない。

 

6年前にYさんに東京アプレイザルの代表取締役を譲った。それで現在の無任所の会長職に収まった。しかし、自分が思い描いた会社の姿にはなかなかならず、今回の株主総会にて代表取締役に復帰することを決めた。

このロートルが今更戻ってどうなるのかとも悩んだが、自分をこの世の中で表現するには、社長に復帰し、やりたいようにやる。第二のチャレンジをすることに決めた。

生前の女房にもよく文句をいわれた。「あなたはいつも何か考えている、話も上の空だ」と。その通り仕事のことで常に頭がいっぱいだった。2泊3日の温泉に行っても、早く戻りたいと思っていた。「自分の存在を無視されているかのようだ」と、とにかく嫌がられたこともあり、土・日はなるべく仕事をしないことにしていた。

しかし、お客様の都合もあり、どうしても土曜日のセミナー講師や、現地に来てほしいということが度々あった。まさに針の上のむしろ状態だった。帰ってもご苦労様とはいわれなかった。

 

女房が亡くなって4か月半。その2年前から介護施設にお世話になっていたこともあり、ブレーキ役がいなくなり、仕事への情熱はいよいよ高じている。

母親が重労働で生活を支えてくれたDNAは自分に受け継がれている。こうなったら死ぬまで働き続けると決めた。認知症になったらお仕舞なので、なるべく頭を使い続ける。その為にはいつも何らかの予定やアイデアを考えている。

 今や若い力が世の中を席巻しているが、人間は若いも年寄りもないと思っている。ただあるのはやる気と情熱の濃淡だけだ。71歳になったが自分ではほとんど意識はしていない。いまだに38歳と思っている(笑)。

「今はまだ人生を語らず」だ。「超えて行けそれを。超えて行けそこを。」

吉田拓郎の名曲だ。

若い人は知らないかもしれないが、吉田拓郎を知らずして男性高齢者の相続コンサルティングは出来ない。だから70代の人々よ、死ぬまで働こう。辞めるか続けようかと思い悩んでいる人々へ、これを読んだのが何かのご縁、いや幸運。

芳賀がやるんだから、やるしかないでしょ。

 

 

 

 

 

 

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