【前回から続く】

令和4年8月から三鷹にある介護施設で生活をすることになりました。病状が進行するにつれ、本人も私や娘に頼るよりも全てが整っている施設の厄介になることを選択しました。

当然ですが、自宅にいるよりは相応の費用が掛かります。それは、私が覚悟するだけのことです。

今にして思うのは、もっと自宅で看て上げられなかったかと後悔の念が立ちます。仕事に託けて時間を割いて上げられなかったことの自責の念がなかなか消えることはありません。

入所以来毎週日曜日にこの施設に通うことになりました。いつも15時頃に行くようにしていました。それは、13時過ぎだと職員さん達が昼食で忙しい時間帯なので、それを避ける意味がありました。

幸い自宅からは車で約25分の距離です。必ずといっていい程何かを買っていきました。調子のいい時は隣地にあったカフェに車椅子で連れて行き、1時間ほど娘たちとおしゃべりをし、好きなコーヒーを飲み、帰り際にはコンビニに寄って買い物が出来ました。

コロナ禍がまだ収まっていない時期だったので、時々は部屋での面接は禁止になり、必要な物を届けるだけのことがよくありました。

それが1年ほど続きましたが、病気は徐々に進行します。肺の機能が低下している分、心臓が頑張って酸素を送り込むそうです。すると心臓の負担が増して、慢性心不全という病気を併発します。それを改善する薬を飲むのですが、これの利尿作用が強いので、しょっちゅうおしっこに行きたくなります。ベッドの横にあるトイレに行くにも相当な体力を使うらしくトイレもかなりの重労働だったようです。

令和5年11月になると車椅子で外出する気力もなくなり、食堂に行くのも疲れるので、部屋食にすると言ってほとんどの時間を部屋で過ごすようになりました。それでも私が訪ねると1時間ぐらいは他愛のない話をしていました。

令和6年新年を迎えることが出来ました。しかし、その頃には足がむくみ、お腹に腹水が溜まるようになりました。これを見たとき、私はかなりの不安を覚えました。それは以前肝臓がんの知人が、末期に腹水が溜まってから数カ月で亡くなったからです。

すぐに在宅医に相談したところ、「改善する薬はあるが今よりもっと尿が出やすくなります。奥さんに伝えたところ、これ以上はトイレの回数を増やしたくないというので、処方していない」とのことでした。本人に聞くとその通りで、このままで良いというのです。それと、ずっとベッドに座りっぱなしなので、お尻に床ずれが出来ているとのことでした。寝ると起き上がれるのが辛いので座っていると。

この段階になると、本人も早く楽になりたいとの願望が日増しに強くなっていました。「生きていても何の楽しみもない、目標もない、お金だけが掛かって何の意味があるのか」と、いつも問い詰められていました。

それでも、二人の可愛い孫の動画がいつも送られてくるし、施設の職員の方々は献身的に世話をしてくれるし、まだ頭だけははっきりしているので、認知症の人よりはいいんじゃないかと励ましてもいました。

この時は、ママが生きていることが、存在していることが、家族の希望であり光明だと思っていました。

【次回に続きます】

 

 

 

 

 

 

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