【前回から続く】

大腿骨骨頭の人工骨手術から約3年間(発病してから約5年間)は比較的平穏な日々が続きました。とはいえ本人にいわせると常に苦しい状態は変わらないのです。

毎週土曜日か日曜日の朝には必ずといっていい程、カフェにモーニングを食べに通いました。よく行ったのはコメダ珈琲、むさしの森コーヒー、ロイヤルホスト、ジョナサン、珈琲館、等々。

夜も外食はよくしました。料理や片付けの負担を軽くするのと気晴らしのためです。月に1回は金曜日に休みを取り都心部のホテルに一泊するのも楽しみの一つでした。体力的に遠隔地への旅行は出来なくなりました。新幹線も乗れません。常に私の運転する車で出かけました。

しかし、病魔は少しずつ襲ってきていました。

今から3年半程前から呼吸の苦しさが増し、酸素療法をせざるを得ない状態になりました。自宅に酸素を発出する機械を置き、カニューラというチューブで鼻から酸素を取り込みます。これは寝ている間も、つまり24時間付けていなければなりません。外出するときは携帯ボンベをズルズル引っ張りながら出かけます。その時はまだ自分の力で外出できました。もちろんごく近場ですが。

天気の良い日には、近くの公園に車椅子を車に入れて行き、駐車場に止め、その車椅子を自分で押して20~30mは歩くことが出来ました。それでもすぐ疲れます。公園で子供たちが遊ぶ姿を見て嬉しそうにしていました。今から思えば幸せな時期だったかもしれません。

これが約1年間続きました。しかし、病気は少しずつ進行し、家のトイレに行くのさえきつくなりました。部屋から数mの距離ですがトイレで体力を使うと疲れ果て、ベッドに10分ぐらい座って休まないと横になれないのです。その頃になると料理は全く出来なくなりました。お湯を沸かすのも、洗濯物を取り込むことも出来なくなりました。もちろんシャワーを浴びることも(湯船には当然入れません)出来なくなりました。例えば宅配便の人がピンポンを鳴らしても応じることが出来ません。動けないのです。

本人もこれでは生活自体が不可能になると思ったのか、介護施設で面倒を見てもらうことを決断しました。本来なら私が仕事を辞めて女房の世話をするのが最後の務めかなと思いながら、仕事人間で生きてきた私がここで仕事を辞めれば、共倒れになると思ったのでしょう。自ら介護施設に行くことを決めてくれました。

この介護施設探しが大変だった件は、アプレイザルニュース№324、325(2022年9月、10月号)を参考にして下さい。これを簡単にまとめたものが下記のものです。

約1年9か月前のことです。5ヵ所ほど介護施設を下見しましたが、酸素療法をしている人は受け入れないということでした。諦めかけているとお世話になっていたケアマネさんの情報で、可能性がある施設があることが分かりました。尋ねると有難いことに問題ないとのことでした。干天に慈雨とはこのことです。その、唯一受け入れてくれたのが三鷹駅7分程にある桜十字病院グループの「ホスピタルメント武蔵野」という介護施設でした。女房の場合は部屋に1台置き、車椅子で食堂に移動するときには簡易ボンベに取り換え、食堂につくと、食堂に部屋と同じ機械を1台置いてあり、それにまた移すという本当に面倒な作業があります。他の人よりも面倒がかかるのです。それと酸素が命綱なのでうっかりすると危ないのです。

【次回に続きます】

 

 

 

 

 

 

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