70歳(古希)を迎え、すべての方に感謝します。

昭和28年2月12日北海道留萌市郊外にある炭鉱町にて生を受けました。

母親によると、とにかく虚弱体質の赤ん坊で、取り上げた産婆さんから、生まれてすぐに高熱を出したこともあり、「この子は長生きできない」と言われたそうです。

大人になって知ったのですが、先天的に胸がへこんでいる病気もありました。漏斗胸と言います。これが原因で胃腸も弱くお腹をこわすのが常だったそうです。

また、食が細く体力的にも他の子よりも劣りました。小学生になってもいつも扁桃腺を腫れさせ高熱を出し、小児科に通っていました。

そんなハンディキャップを子供心に知っていたようで、体の弱さ・細さがコンプレックスでした。ただ成績だけは田舎の小学校とは言えほぼトップでした。その時はとにかく普通の大人になりたいと思っていました。

中学生になると学生服を着るのですが、入学当時の身長が137cmしかなかったので一番小さいサイズのものでも、ぶかぶかでした。それでも一人前に中学生になれた時には嬉しかったことを覚えています。

中学2年生の時が私にとって最大の栄光時代でした。夏休み前に中間テストというのがあり、全校生徒320人中3番の成績だったのです。

これが後にも先にもない生涯の最高成績を収めました。美術の田中先生に「芳賀、よくやったな」と褒めてもらったのを忘れません。しかし、高校生になるとホントに普通の生徒になっていました。(笑)

さて、あの時の産婆さんの言った長生きとは、どのくらい生きれば長生きなのか聞いてみたいものです(もちろん既に亡くなっているはずですが)。

こうして70歳まで生きることが出来たので(まだ長生きとはいわないものの)、「あなたの予言は当たらなかったよ」と言いたいぐらいです。

 

自分は小柄で細く痩せており体力がないことや、お酒は飲めず(下戸)のコンプレックスを引きずっていました。その反面、一般的な中高年世代の悩みである糖尿・高血圧・肥満体質とは全くの無縁でした。

何が幸いするか分かりません。私の辞書にダイエットという言葉はありません。ただ、逆に太れないという悩みがありましたが今はどうでもいいことですね。

よく、体育会系の人が自分を丈夫に生んでくれた母親に感謝するくだりがありますが、今の私にとっては、「よくぞ弱い子供に産んでくれた」と母親に感謝する次第です。

(母は93歳で認知症もなく今は札幌の施設で暮らしています。有難いことです。)

 

このような経験はハンディのある方々への心の持ち様が少しは分かるのです。強さや丈夫を誇る人は弱者に対する態度がしばしばパワハラにつながります。

最近聞いた話で恐縮ですが、愛とは「与えること」と「許すこと」だと学びました。これに感銘を受けました。

そうだ、残りの人生は愛深き人を目指そう。それが罪滅ぼしになるかも知れないと。(なんの罪だ?)

 

こんな我儘で自分勝手な私を支えてくれた家族・社員・友人・知人・取引先・関係者全ての方々にありがとうございます。と申し上げます。

いつも私の言いたい放題にお付き合いいただき感謝します。

 

 

 

 

 

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