【前回の続き】

在宅医療で酸素療法をやっている時の酸素濃度は4だったことは前回書きました。しかし、大学病院に入院したところ、これが大きな間違いであると知ることになりました。さすがに大学病院の設備は全く違います。検査の結果、女房には酸素濃度7が必要ということが分かりました。自宅にいるときは、とにかく苦しい日々を過ごしていましたが、この酸素濃度に問題があったのです。とはいえ、自宅で使える酸素器具は5が上限です。素人ゆえの悲しさです。1年以上に渡り必要とされる酸素が身体に供給されなかったのです。それは苦しいはずです。かわいそうなことをしました。1ヶ月の入院生活で十分な酸素量と心臓に効果がある薬や治療効果の甲斐があり、危機を脱することが出来ました。しかし、病院は長期間の滞在は出来ません。また、自宅での酸素器具の濃度は5が上限なので戻ることが出来ません。よって、これらを満たす介護兼医療施設探しをすることになりました。しかし、これが難物であることが後で分かることになりました。

自宅では酸素濃度6以上を満たす機械を導入することが出来ません。つまり、自宅介護は不可能になりました。それと慢性心不全状態なので、基本的には常に見回りが必要になります。よって、本人も介護施設入所を希望せざるを得なくなりました。多分、不承不承だと推察されます。病院は長期入院が出来ません。一刻も早く施設を探さなければなりません。以前からお世話になっているケアマネさんから介護施設紹介業者さんを紹介してもらい、これはと思う施設を1日がかりで4件訪問しました。

その日は次女が付き合ってくれました。やはり一人で行くより心強いです。費用はピンからキリまででしたが、事前に大体このクラスの施設でと打ち合わせしていたのでスムーズに進みました。

最終的には料理が4種類から選べることや、親会社の信頼性、スタッフの対応などを考慮して、娘も同意見で1社に絞り、翌日には申し込みをしました。月額料金は敢えて書きませんが、なかなかの数字です。小さく書きますが(とても一般的年金の額では入れません)。まさに地獄の沙汰も何とやらです。

しかし、審査の結果、他の施設同様に酸素濃度6以上の機械を設置することが出来ないことが分かりました。

正直困りました。諦めるしかありませんでした。大学病院のソーシャルワーカーさんに頼んで療養型の病院を探してもらうことになりました。つまり、いわゆる有料介護施設ではウチの女房のような病状の者は受け入れてもらえないのです。もう家族全員ガックリです。しかし、次に行くしかありません。

5日後にようやく受け入れてくれる病院が見つかりましたが、何と川越市だというのです。今までは練馬区、杉並区周辺で探していたので「そうか、そこまで行くのか」・・・川越市周辺の方ごめんなさい(笑)。

女房は「受け入れてくれるならどこでもいい」と面接の日取りも決めたところ、ソーシャルワーカーさんから「酸素濃度6以上出せる機械の導入を検討してくれる介護施設がありました」と連絡が舞い込みました。もう居ても立ってもいられず、行動だけは早い私(よく芳賀さんは走りながら考えているといわれました)は、速攻で下見の希望を入れ、長女、次女と一緒に家族全員で行きました。期待に胸膨らませ訪れると、何とオシャレな内外装で、一階から三階まで吹き抜けで、おまけに中庭まであります。あまり具体的に書くとまずいかな。レストランもオープンスペースでゆったりと食事が摂れます。スタッフさんの笑顔や物腰も素晴らしく、ここならと全員が納得しました。100以上の部屋がある施設ですが、何と空室が2部屋しかありません。前に訪問した施設では、高級感ある割に70戸中30戸が空いているのを見ていたので、ここの人気や信頼性を感じ取ることが出来ました。娘たちの納得感から女房も文句はないだろうと確信し、その日のうちに申し込みを入れました。もちろん、費用のことは説明された上でのことです。よって、川越の療養型病院はキャンセルしました。

ただ、ひとつ懸念がありました。酸素の機械を部屋には置けるのですが、レストラン等に行く際は車椅子に簡易ボンベを備え付けて行くことになります。ボンベは3時間しか持たないのです。下手をすると2日間でボンベが消費されます。ボンベの取替は施設ではなく違う業者の仕事で、しかも危険なので部屋には2本しか置けないのです。すると、施設側が「レストランにももう1台酸素の機械を入れましょうか」といってくれたのです!そうしたら数分間は車イスのボンベを使い、食事中は部屋と同じ機械を使うことが出来ます。何と親切なのか。まさに神様からの贈り物かと。ちなみに酸素機械はリースです。当然ウチ持ちです。二台になろうと多少の出費は惜しみません。そうした便宜を図ってくれたことに感謝しかありません。施設の名称を出してPRしたいぐらいです。審査も通り、お陰様で無事入所を果たしました。とても長い1ヶ月半の出来事でした。

41年間連れ添った女房が家からいなくなり、何か侘びしく、申し訳ない気持ちが心を支配しています。数年前から料理や家事が出来なくなった女房に代わり、真似事ながら家事全般はやれるので不自由はしませんが、まさにポッカリと心に穴が空いたようです。

いずれはどのような形で最後を迎えるのか、女房が私に教えてくれているような気がします。

 

 

 

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