私事ですが、このたび41年間連れ添った女房との事実上の別居になりました。いや、別れたのではありません。介護施設にようやく入所した苦労話です。ちょっとだけ説明させてください。

女房は、7年半前に間質性肺炎と診断されました。更にその1〜2年前から心肺機能に違和感があったようですが医者嫌いもありそのままにしていました。「速歩きすると胸が苦しい」と、かかりつけ医のクリニックで診察を受けたところ酸素飽和度が80でした。その頃はパルスオキシメータなど知りません。医師によると「死んでも可笑しくないレベル」ということで、その場で救急車を呼び緊急入院となりました。

私は会社にいましたので何事かと搬送先の清瀬の肺専門病院に飛び込みました。

病名は間質性肺炎とのこと。恥ずかしながら初めて聞く病名です。肺胞を囲む膜が炎症を起こし固くなり、酸素の取り込みが著しく弱くなるとのことです。原因は不明です。とりあえずはステロイドを処方し、炎症を抑えることになりました。

約2ヶ月の治療の成果もあり、一旦はよくなりました。ですが、その後も量は少なくなりますがステロイド処方を続けました。その頃はこれが最善の治療法だったようです。

この副作用が、1年後に大腿骨に来ました。実は、あの美空ひばりさんもこの病気でした。大腿骨骨頭壊死が起きて人工骨に取り替えるのです。同様に家内も人工骨の手術を受けました。

大腿骨骨頭壊死はステロイドの副作用で毛細血管の血の巡りが悪くなり、骨への栄養や酸素が行き届かなくなり、静かなる骨折状態になるそうです。放って置くと壊死が起こります。そのままの状態にしておくと相当痛いらしいのです。こうなっては取り替えるしかありません。お陰様で人工骨に替えてからは痛みがなくなりました。ただし、人工骨の寿命は約20年と聞かされました。

その後、約3年近くは比較的病状も落着き、好きな旅行にも連れて行くことが出来ました。もちろん、私がアッシーくんです。女房は電車や飛行機には乗る自信がないといいます。幸いにも下手な運転ですが、車好きな私には有り難いことでした。とはいってもせいぜい静岡県までです。一泊二日が限界です。

元々、ホテルや温泉旅館に泊まることが好きで、2人して何百回行ったか分からないぐらいです。都内ホテルで泊まったことがないホテルはないというぐらい行きました。趣味の領域です。

しかし、コロナ禍で全く行けなくなりました。そして病状は徐々に進行していきました。

ほぼ2年前から酸素を取り込む力が減退し、酸素療法を使うことになりました。酸素を作る機械を自宅に備え付け鼻にチューブを入れて取り込むのです。外出時には小型ボンベをカートに乗せてガラガラ引きずります。このとき既に発病から約5年経過していました。

2021年11月頃より酸素濃度が4に上がりました。というよりも上げざるを得ないほど肺の機能が低下したのです。酸素を取り込む力が弱いのです。それに伴い心臓に負担がかかります。脈拍が常に110前後です。ちょっとした身体の動きでもかなりの苦しさになりました。トイレに行った後は10分以上イスに腰掛けて休むようになりました。医師からは心臓の負担を緩和する良い薬があるといわれたのですが、かなりの薬嫌い、そして諦めが先に立ち、頑として服薬を拒否したのです。医師も匙を投げるほどでした。

それから半年後の今年5月頃からふくらはぎが異常に腫れ上がってきました。真っ赤に腫れており、素人目に見ても水が溜まっていることが分かりました。

医師は利尿薬を処方しましたが、心臓の薬は相変わらず頑として飲みません。7月になり、ますます腫れが酷くなり、お腹まで腫れて来ました。さすがに私は危ないと思い、女房の反対を押し切り、近くの大学病院を紹介してもらうことにしました。

幸い、すぐに診察を受けられることになり、案の定即入院になりました。コロナが東京で3万人を超える10日前のことです。本当についていました。

入院して数々の検査を受けました。そこで思いもよらぬ衝撃的な事が判明したのです。

【次回に続く】

 

 

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