2021年11月、東京アプレイザルの代表取締役社長に就任いたしました牧村文仁社長、同じく代表取締役会長に就任いたしました柳澤泰章会長の両名により、当社の歩みと将来について、そして代表取締役に就任した抱負を語る対談を行いましたのでご紹介させていただきます。

 

司会 まず初めに、子どもの頃あるいは学生時代に、将来どのような仕事に就きたいと考えていたかをお伺いします。

牧村 はい、小学校の卒業アルバムを思い返すと、子どもの頃は政治家になりたいと考えていました。当時の総理だった田中角栄さんの影響もあったと思いますが、じつは祖父が市会議員をやっておりまして、また父親も市議選に出るとか出ないとかを考えていた時期もありまして、そのような環境で育ったためかと思います。そうしたご縁で、私が結婚するときの仲人さんを県会議員の方にお願いした、という事もありました。

その後、私は鳥取の出身なんですが大阪の大学に進みまして、その頃は何か資格を取って将来は鳥取で開業しようか、と考えていたこともあります。しかし、鳥取は経済のパイが小さいので資格を取っても独立するには大変ですから、まず大阪か東京で力をつける必要がある、そう考えて卒業後は東京に出てきました。

柳澤 子どもの頃に将来何になりたかったというのはあんまり覚えていないんですが、学生時代は華やかな仕事がしたいと思っていまして、具体的には就職先として広告代理店に行きたいと考えていました。実際にはそれは叶わなかったんですが、大手の電機メーカーに入社しまして、そこで「宣伝の仕事をやりたい、宣伝がやりたい」と言い続けていたら本当に宣伝部に配属されて、それでクライアント側から広告宣伝の仕事に就くことができました。入社してから11年間ずっと、宣伝の仕事一筋にやることになりました。バブル経済の頃だったので、私一人で20億円ぐらいの広告予算を使える、そんな時代でした。

司会 ありがとうございます。そのような時代を経て、不動産鑑定という仕事に出会ったのはどのような経緯があったのでしょうか。

牧村 大学卒業後に司法書士の資格を目指そうと、当時、新宿法務局の入口に事務所があった司法書士事務所に入社したところ、その事務所が不動産鑑定業務も兼業しており、それが不動産鑑定という仕事の出会いでした。ちなみに、入社初日に右も左も分からぬまま上野の不動産業者へ取引事例の入手に行って来いと指示されて出向いたのですが、1件も入手できず茫然として戻ってきた、そんな思い出があります。

柳澤 宣伝部ではコマーシャル・新聞雑誌の広告・展示会・キャンペーンの仕事などでバリバリやっていたんですが、考えてみるとしょせんはサラリーマンなので、これを一生やるのかどうか?という思いがありました。そんな時に、たまたま仕事仲間と六本木のおでん屋で飲んでいた時に、知人の紹介で不動産鑑定事務所に勤務している女性と話す機会があったんです。「不動産鑑定って、どんなお仕事なんですか?」と聞いたところ、その女性がおそらく不動産鑑定士から聞いた台詞だと思うんですが、「人を裁くのは弁護士、会社を裁くのは公認会計士や税理士、そして不動産を裁くのが不動産鑑定士です」と話してくれたんです。それで、あ、これは不動産鑑定士というのは素敵な仕事なんじゃないか、と思って不動産鑑定士の勉強を始めることになりました。

司会 なるほど。そのように不動産鑑定という仕事を知り、そこから東京アプレイザル、あるいは創業者の芳賀先生との出会いがあったのですね。それはどのようなきっかけがありましたでしょうか。

牧村 昭和59年12月に、当時アルバイトとしてお世話になっていた星鑑定事務所の不動産鑑定士・星先生から、知り合いの不動産鑑定士である芳賀さんが独立して3年たって忙しくなったため、誰かいないかと相談されているので会ってみないかとのことで、新宿西口の喫茶店で初めてお会いしました。その頃は資格を目指して勉強時間を確保するためアルバイトとして働いていましたので、星事務所と芳賀先生の事務所、両方でアルバイトすることになりました。

柳澤 不動産鑑定士の勉強をするため電機メーカーを退職しました。その時は広告代理店をはじめ大勢の人から、どうしてこんな面白い仕事を辞めるんですかと驚かれましたが(笑)。それでも、すぐに試験に受かるかどうかわかりませんし、その間に何か仕事をしようと思い、いろいろと考えた上でソニー生命に勤めました。その後に不動産鑑定士の資格を取って、それを生かすためにどうしようと考えていたら、ソニー生命の同期に不動産鑑定士の知り合いがいるから紹介しようか、と紹介してもらったのが東京アプレイザルの芳賀先生でした。

司会 東京アプレイザルで仕事をするようになった初期の頃の思い出やエピソードがありましたらお聞かせください。

牧村 初めの頃は芳賀先生のご自宅でのアルバイト勤務、それと星鑑定事務所があった渋谷の共同ビルでの仕事を掛け持ちしていました。当時は不動産鑑定評価書は外部のタイプ印刷の業者に外注していた時代ですが、芳賀先生は早くからワープロを導入していたのでワープロでの評価書作成も行っていました。その後、仕事が増えて忙しくなったので東京アプレイザルが高田馬場に移転することとなり、そこで正式に東京アプレイザル入社となりました。最初に入居したのは工新ビルの8階でとにかく狭くて大変でした。その後6階に移転してだいぶ広くなったのですが、後から聞くと柳澤さんは6階でも狭いと思っていたようです。

柳澤 先ほどの話にありましたようにソニー生命の同期から紹介を受けて芳賀先生にお会いして、なるべく早く不動産鑑定の仕事、勉強をしたかったので、すぐに東京アプレイザルにお世話になることにしました。ほかの鑑定事務所を受けたとか面接したとか、そういうことはありません。自分としては東京アプレイザルにして本当に良かったと思います。それまで不動産関係の仕事の経験がなく、何から何まで初めてで、不動産鑑定士の勉強をしていましたし試験も受かりましたが、最初は不動産についての調査って何をどうやるのかさえも知らなかったんです。なので、入社してからはあらゆることが新鮮で、しかも不思議でしたね。不動産の調査からはじまって理論的に数字を出していくプロセスとか、そういうものを学びながら不動産鑑定の世界に入っていきました。その頃のことを思いますと、今、現場の不動産鑑定の評価の仕方っていうのはさらに進化していますね。それと、入ったばかりの頃はとにかく事務所が狭くて大変でした。私が入ったのは工新ビルの6階の頃で、牧村さんは8階から移転して広くなったと言いますが、それでも狭いところにみんなが集まって仕事をしている、それも懐かしい思い出です。

司会 その後、東京アプレイザルは相続問題への対応や税理士事務所・会計事務所の業務提携を拡げるなどにより発展していきます。鑑定の仕事や東京アプレイザルの発展の経過に関してなにか記憶に残っていることなどありましたらお聞かせください。

牧村 たくさんの思い出がありますが、東京地検特捜部が来たときはびっくりしました。とある金融機関の担保評価に関する案件で、当社としてはきわめて正当な担保評価をしていたのでまったく問題はない事案だったのですが、金融機関のその融資について何らかの疑惑があったようで、そのため鑑定評価についてもすべて調べる、という捜査方針により鑑定事務所である当社に捜査が入ったという事情です。特捜部が来たのは土曜日だったと思いますが、芳賀が不在中にいきなり大勢の特捜検事や地検職員がやってきて、代表に連絡して呼びますと言ったところ「外部との連絡はやめてください!」と連絡させてもらえず、事務所内のあらゆる資料を根こそぎ持っていかれました。それからしばらくはまったく仕事になりませんでした。結局、当社の鑑定には何ら問題なしという結論がすぐに出たのですが、持っていくときは根こそぎ資料を持ち去ったのに、返すときは取りに来いということで、ワンボックスカーを借りて社員総出で引き取りに行きました。あともう一つ、これは財務局からの鑑定評価依頼の案件だったのですが、事前にどのような物件であるかの具体的な説明がなく、現場に着いたら広大なお屋敷でやたらに高い塀に囲まれた物々しい雰囲気・・・中に入ったら、じつは反社会的勢力の親分の自宅だった、という案件もありました。それこそ週刊誌に実名報道が出るような親分の自宅で、税金の滞納か何かで、その滞納処分のために鑑定評価が必要だったようです。もちろん財務局の方々と一緒ですから丁重な対応でしたが、、出迎えにでてきた幹部の人相・雰囲気などは物凄い迫力でした。不動産鑑定という仕事は様々な場面で必要とされているんだなぁと実感した仕事でした。

柳澤 入社した時は狭い事務所でたいへんな思いをしていましたが、その後三井生命ビル、さらに高田馬場センタービルへと移転していく中で、広くなればなるほど、どんどん仕事が増えていくのを実感していました。やはり会社の器が大きくなると仕事もそれに伴って大きくなり増えていく、それを目の当たりにしてきたという事です。そして、相続に関する仕事に取り組み始めて、税理士事務所・会計事務所との業務提携を積極的に推進し始めたときのことも印象的です。芳賀先生がこれこそが勝利の方程式だとみんなに語りかけていて、提携事務所もどんどん増えて行きました。

牧村 やはり相続に特化し始めてから東京アプレイザルの強みが生まれた、それが大きいと思いますね。それまでは金融機関からの鑑定評価依頼が中心だったわけですが、なんといっても土地・不動産を持っている地主やオーナーともっとも近いところにいるのは税理士の先生方ということで、税理士事務所との提携を働きかけて、相続税の申告に鑑定評価を活用していただこう、その頃から税務署に提出するような鑑定評価という視点での仕事の取り組み姿勢になりました。そして、ちょうどその時期に大型の相続案件の相談がいくつも続いて、相続税の申告などの鑑定の仕事がどんどん入ってきた、それが今の東京アプレイザルの礎になっていると思います。

柳澤 鑑定評価の仕事を増やしていこう、そういった狙いもあって相続分野に進出したという経緯があるとは思います。その点、業務提携を広めたり相続案件に積極的に取り組むようになって、仕事はいろいろなところから来るようになった、そういう事だと思います。ただ、初めの頃は相続に取り組むといっても、路線価評価との比較とか、こういう不動産だったら鑑定評価を使うべきだといった明確な判断基準はなかったと思うんです。今だったら、このような不動産なら時価は明らかに低いので評価が下がるといった判断が出来ますが、当初は手探りの状態だったのではないかな、と思います。その意味で、本当に数多くの相続案件を手がけることで実績と経験を積み重ねてきたこと、一つ一つの案件で頭を悩ませてきたことが当社の財産になったと言えますね。

司会 ありがとうございます。最後に、このたびそれぞれ代表取締役社長、代表取締役会長に就任したということで、これからの抱負ですとか、東京アプレイザルの将来像についてのお考えを伺わせいただけますでしょうか。

牧村 当社は不動産鑑定業務とセミナー部門からの情報発信という2つの面を併せ持つ日本で唯一の会社だと自負しておりますので、その特色を活かして今後ともお客様の色んなニーズに対応できるようになればと思っております。あとは柳澤会長が言いますように、鑑定業務というものはまだまだ皆さんご存じない方もたくさんいらっしゃるので、不動産鑑定ということを、もっともっと自負できるように、不動産鑑定士はこういう仕事なんだよっていうことを言えるような会社にしていきたいと思っています。そうした意味で、本業にさらに磨きをかけていきたいと思います。

柳澤 この会社を誰もが認める業界ナンバーワンの不動産鑑定会社にすること、それが自分の使命だと思っています。同時に、日本中の誰もが不動産鑑定士の仕事を知っている、そういういう世の中にしていきたいと思います。たとえば弁護士だったらこんな仕事をしています、税理士だったらこういう仕事をしていますというのが普通にイメージできると思うんですが、不動産鑑定士って何?ということがあると思います。それを本当に無くしたいな、誰もが知っている仕事にしたいなという思いがあるんです。そのために、より多くの人たちに、不動産鑑定という仕事のメリットを正しく伝えていくことも行っていきたいと思っています。

司会 ありがとうございます。以上をもちまして本日の対談を終了させていただきます。

 

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