「会うは別れの始め」とはよくいったものです。長い人生ほど出会いと別れが交互にやって来ます。
この世に生まれてから、両親・保育園・学校・就職・恋愛・結婚・家族・職場・転職・趣味・スポーツ・病気等々の出会いを経験し、それなりの組織や集合体、グループに属し生活をします。その時々において、良き関係を築こうとして誰しも苦労し頑張ります。この時は別れを前提にしていません。しかし、生きるものが必ず死に至ることと同様に関係も必ずどこかで解消されます。
私事で恐縮ですが、8年前に所属していたある団体(事実上私が創業者)との別れがありました。その時は何と理不尽なことかと割り切れない思いでしたが、結果には必ず原因があります。今では自分の至らなさが招いたことだと素直に思えることが出来ます。
最近になって、ある人との別れを経験しました。男・女、どっちかって?想像にお任せします。
この数年間はかなりの頻度で会い、仕事上の付き合いをして来ましたが、ある事件をきっかけに、関係を解消することになりました。それは突然のことでした。何の前触れもないある出来事が判明してからは、一瞬で決断しました。その人には結果が招いたことだと思って頂きたいと願っています。
私が好きな歌手、中島みゆきさんのヒット曲に「わかれうた」があります。この詩が絶妙です。「別れはいつもついて来る 幸せの後ろをついてくる」という一節があります。どんなに幸せな時間であっても、その隙をついて別れという魔物が虎視眈々と狙っている。悲しいかな人生はそんなものでしょう。個人的には一番好きな曲は「糸」です。「縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に 出逢えることを 人は仕合せと呼びます」でこの、「仕合せ」がミソです。幸せではないのです。仕合せを辞書で引くと「めぐり合せ」と出ます。
また、仏教用語で「縁」があります。これは「二つ以上のものが寄りついて関わりを持つ作用」とのこと。同じ会社や学校で一緒になるのは、何かの「ご縁」があったとしかいいようがありません。しかし、それも残念ながらいつかは縁が切れます。
さらに中島みゆきが続きます。「別れと出逢いをくり返し 今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出すよ」 時代より。
札幌の高齢者施設に入居する92歳の母親がいます。お陰様で認知症もなくあちこち痛いといいながら、元気に暮らしています。普段はほとんど会うこともなくなりましたが、私にとっては最初の出会いの人です。
本人曰く「死ねなくて困ったものだ」といつも口癖のように言います。私は「母さん、ここまで来たら100まで頑張ろうよ」と励ましています。絵にかいたような苦労を重ねてきた母親です。
この年になってようやく分かりました(いや分かろうと努力しています)。別れは決して悲しいことではなく、明日への旅立ちの一歩だと。
いずれ、全員にもれなく(笑)死がお迎えに来ます。 それまでは繰り返しの出会いと別れを楽しみましょう。
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