3月16日23時、43年間連れ添った妻由理子(享年74)が旅立ちました。
最も身近な存在である、妻のこの9年間の闘病生活と、特にこの2年間の家族としての苦悩を語りたいと思います。
これは、24年前に相続アドバイザー協議会を立ち上げ、平成26年まで理事長(現在は一会員)を務め、相続のプロを養成しようとした一人として、自分の女房の死を通して改めて相続とは何かを考え、世に問いたいと思うからです。ある意味では相続を扱う者として自分ごとはどうなんだ、他人の相続アドバイスは勝手にできようが、自分はどうするんだと、プロしての責任の取り方と思います。
9年前(65歳の時)息切れが激しいということで、掛かりつけの内科クリニックで診察を受けました。胸のレントゲンを撮り、血中酸素濃度を測ると何と80台だったそうです(96~99%が正常値)。
先生からは「放っておくと死にますよ」といわれたそうです。その場で救急車が呼ばれ、清瀬市にある肺専門病院に緊急入院となりました。本人も何が何だか分からないうちの入院でした。会社にいた私にもすぐ連絡が入り、まさに取るものもとりあえず病院に向かいましたが、着いた時にはそれなりの処置がされており落ち着いた状態でした。
それから2~3日は検査漬けです。肺にチューブを入れる精密検査は、とてもじゃないが自分は恐ろしくて無理だと思ったものでした。検査がようやく終わり担当医に私と娘二人が別室に呼ばれ、検査結果を聞かされました。「奥さんの病名は間質性肺炎です。難病の一つで完治することはありません。5年生存率が約30数%、10年生存率が10数%です」と告げられました。
夜の帰りの車の中では全員無言です。私も運転しながら泣いていました。娘たちも泣いていました。しかし、上手くいけば10年は生きられる。と前向きに捉えることにしました。10年あれば、いろんなことが出来ると。幸い私は、当時は東京アプレイザルの創業社長で、多少の我儘を言っても皆が協力してくれるだろう(笑)と時間は比較的自由になりました。
その病院には約1カ月間お世話になり、地元の順天堂練馬病院に転院することが出来ました(有難いことに自宅から徒歩8分の距離です)。※教訓1 病院はなるべく近い方がいいです。とにかく必要な物が多いので。私はほぼ毎日、朝仕事前に寄るか帰りに寄るかしていました。
基本の治療は残念ながら「ステロイド剤の注入」しかありません。炎症には劇的に効果がありますが、先生からは「副作用」があることの説明がありました。ここでの入院も1カ月でした。合計2カ月間で自宅に戻ることになりました。ステロイドは徐々に減らしていき約6カ月間で終わりました。
恥ずかしながら「間質性肺炎」という病名は知りませんでした。先生の説明によると、肺の中の末端に肺胞というのがあり、肺胞がしぼんだり開いたりして酸素を取り込む。それを守る役割の外膜があるが、この膜が硬くなり肺胞が固まってしまい酸素が取り込めなくなるとのこと。それで、苦しい状態になる。この膜は戻ることがないので、徐々に酸素を取り込む量が少なくなります。この時はまだ初期の段階なので酸素吸入器は必要ない状態でした。
ネットでにわか勉強を始めると出るわ出るわ、かなりの患者さんがいることを知りました。
【次回に続きます】
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