【 高田馬場とお別れです 】 

平成元年3月に、渋谷にあった事務所を高田馬場に移転しました。

当時の顧問税理士事務所がこの地にあったご縁と、当時住んでいた西武新宿線上石神井駅から、一本という利便性を考え移転しました。かれこれ34年間で今度の麹町は6番目の事務所になります。結構引っ越ししました。

平成元年というと、バブルがまだ真最中の時代です。当時は社員3人と私の4人家族です。当時の仕事は大手金融機関3社からの担保評価・抵当証券等が次々とあり、毎日忙しく身も心もバブっていました、何しろ相手は金融機関と不動産業者です。娘がまだ6歳と2歳でした。食うための言い訳に、あまり遊んでやれなかったなと。「後悔は先に立たず」です。

平成2年、こんなこともありました。金融機関からラブホテルの評価依頼がありました。私のとりあえずの評価額は10億円です。このぐらいなら書けますと内報(正式に出す前にこんな評価になると事前報告のこと)しました。すると、担当部長から「先生、もう2億上乗せ出来ませんか」と。当時はよくある話です。とにかく金融機関同士で貸し出し合戦です(今もあるかもですね)。つまり多額の金額を貸したいのです。私は「これでもかなり上目に出していますので厳しいです」と報告しました。数日後にその部長氏から電話があり、「先生、オーナー本人に会って下さい」とのこと。嫌な予感がします。金融機関からの評価依頼の場合、通常は依頼者本人には会いません。どうしてもお願いごとを頼まれてしまうからです。とはいえ当社にとっては大事なお客様です。無下にも出来ず不承不承本人に会いました。案の定「先生、何とか12億でお願い出来ませんか」と。即答は出来ません。「一応持ち帰らせて頂きます」。その時、秘書の女性が隣の部屋で何やらガサガサやっているのが聞こえました。そして、何か入った封筒を社長に渡し、社長はそれを私に渡そうとしました。

「先生、100万入っています。領収書はいりません。小遣いに使って下さい。」

(えっ!貰っちゃおうかな…)と一瞬思いが巡りましたが、「いえいえ、これは頂くわけには行きません。」とやせ我慢して押し返し(うーん、誰にも分からない金だよなーと思いつつ)、きっぱりと辞退しました。その後、この仕事は成約しませんでした。不動産鑑定士もそれなりの誘惑に駆られることがままあるのです。

高田馬場駅周辺は、早稲田大学・学習院女子大学・各種専門学校がたくさんあり、大勢の若い人が行き交う街です。小規模な店舗事務所ビルや事業所も多く、朝から夜まで狭い範囲の中でたくさんの人が歩いています。ある飲食店のオーナーからも「先生、ここは朝から晩まで人通りが切れないので、1階の家賃は意外と高いんですよ」と教えてもらいました。

そんな多くの歴史を刻んだ高田馬場を離れます。「会うは別れの始まり」の如く、新たな土地、麹町(二番町)に居を移します。新たな場所での出会いをお待ちしています。

高田馬場のお世話になった歯医者さん(林先生)、お店(カフェシエロ、中華敦煌、イタリアンアンジェロ,オリーバ)の方々、ダン会計さん、いつわ税理士法人、税理士法人とおやま、その他にもたくさんの皆々様、大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。

 

 

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