『こんにちは、芳賀則人です』

※このページは、不動産鑑定士・芳賀則人(株式会社東京アプレイザル 代表取締役)が、税理士業界で長年にわたりご活躍しておられる先生方を訪問して、いろいろなお話を伺わせていただく対談集です。資産税や相続・事業承継対策に関するお話だけでなく、ときには会計事務所創立の頃のご苦労話や、事務所経営のこと、人生にまつわる様々なお話まで、多岐にわたるお話を先生方から伺わせていただきます。

第2回は、わが国最大規模の税理士法人であり、資産税をはじめ各分野におけるリーディングカンパニーとして知られる辻・本郷税理士法人の理事長・本郷孔洋先生との対談をお届けいたします(記事中は敬称略とさせていただいております)。

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芳賀:本郷先生、本日はお忙しい中お時間をいただきありがとうございます。

本郷:はい、よろしくお願いします。

芳賀:まず最初にお伺いしたいのは、いまや国内最大規模の事務所となられたわけですが、その成長のきっかけといいますか、何かターニングポイントみたいなものとか、印象に残るエピソードなどがありましたら伺わせていただけますでしょうか。

本郷:それほど特別なことはないんだけどなぁ(笑)。

芳賀:いえいえ。まず最初は先生が税理士事務所を立ち上げられたわけですよね。

本郷:というか、監査法人をクビになったので始めたんだよ。

芳賀:ほう、その監査法人には何年ぐらいいらっしゃったんですか。

本郷:3年だね。公認会計士の3次試験を受けて会計士補だったときに、試験に受かってから1年間イギリス行って、監査法人に戻ったら席がなかったんだよ。

芳賀:あ、そうなんですか。

本郷:それで税理士事務所をはじめたわけ。

芳賀:先生は、最初はどちらの監査法人にいらしたんですか。

本郷:昭和監査法人。今の新日本だね。そこにいたときにイギリスに行ったわけです。

芳賀:それは1年ぐらい行かれたんですか。

本郷:「3カ月で戻ってこいよ」っていう話だったのに1年いたから。当時、ルールとして長期休暇って1年認めてくれなかったから、「帰ってこいよ」っていうんだけど帰らなかったら、戻ったら席がなくて。それで、最初、税理士の事務所やった時、(顧問先を)100件ぐらい欲しいなと思って始めたわけだけど、今はそれを超えてるけどね。

芳賀:先生、今グループ全体での顧問先は何社ぐらいになりますか。

本郷:1万社はあると思いますね。

芳賀:そうですか、それはすごいですね。最初は先生、本当に数社ですよね?

本郷:最初は1社だったね。

芳賀:え、1社ですか?

本郷:1社で、顧問料2万円のところが1社だった。そしたら、その顧問料の2万円でうちのかみさんが靴を買っちゃったんで、大げんかしたな(笑)。

芳賀:その1社だった最初のとき、事務所はあったんですか?

本郷:事務所は私がかばん持ちした先生が関与先の社長に話してくれて、無償で借りていたんだよね。ちなみに、今でもその大家さんはうちのお客さんだけど。それで、水道橋の駅前に黒電話一つの小さい部屋で。それから何年かしたらちゃんと家賃払うようになったけど、最初はただで借りていたんだよ。

芳賀:ただで貸してくれたんですか?

本郷:当時はね。

芳賀:当時といっても、先生、それは当時だって家賃はちゃんとありますよね(笑)。いやいや。さて、そして先生、そこから始まって何年になりますか。

本郷:1977年で2015年だから38年かな。

芳賀:それはすごいですね。それから始まったわけですよね、先生。で、10年やられて山田先生(=税理士法人山田&パートナーズ創業者、山田淳一郎氏)と組んだわけですね?

本郷:組んだっていうか、山田先生だけじゃなくてみんなで若手を集めて、優和っていう共同事務所をつくったのよ。名前だけ優和グループということで一緒にして、それで個人の事務所はそれぞれやるんですよ。

芳賀:なるほど。

本郷:そのときに山田さんと知り合って、そこで相続の対策というのを教えてもらったかな。本にも書いたんだけれど(編集部注:「私の起業ものがたり」東峰書房刊)、みんなは「ノーハウ」っていうけれど、「ノーフー」だっていうんだけどね。

芳賀:ノーフーですか?

本郷:そう、「誰と知り合ったか」という「ノーフー(know who)」。

芳賀:なるほど、それで何人かで集まって同じ一つのブランドにしたんですね、優和っていう。

本郷:そうそう、50事務所ぐらい集まったかな。だから、優和っていうのはその当時結構話題になったんだよ。

芳賀:それは何年ぐらいの話ですか。

本郷:私が40代のころだから30年ぐらい前だね。

芳賀:昭和でいうと昭和60年ぐらい。1986年~87年といえばバブル前ですね、そのとき。

本郷:そう、なので相続対策がバブルにちょうど乗っかったわけだね。その意味で節目のときに「相続対策」っていういい商品を教えてもらったんだな。

芳賀:いい商品でしたね。

本郷:相続対策っていう商品を山田さんが指導して、そうなると本当は(優和は)若手の会をやろうっていうことだったんだけど、相続対策をやりたい人はみんなそれをやり出したから。

芳賀:その辺がやはり「相続対策」というのが一つのキーワードだったわけですね。

本郷:それと、その頃に路線価の引き上げがあって、その点でも時代とマッチしたわけだよね。だから、人には言っているんだけれど、やっぱりゴルフのスイングと一緒で、フォローの風が吹いているときに合わせないと伸び方違うでしょ。アゲインストのとき一生懸命振っても何メートルも違うよね。

芳賀:なるほど。

本郷:それが一つのきっかけで、だから(その頃には)面白いが仕事取れたからね。

芳賀:先生、面白い仕事が取れてと簡単に言いますけど、それは銀行とか不動産会社とかの仕事ですか?

本郷:そうだね、その頃は若手で相続やっている人があまりいなかったからね。その点、やっぱり天の時、地の利とかそういうのがあるじゃないですか。で、人生って、芳賀先生もそうだと思うけど、何回かそういうチャンスってあるでしょう?

芳賀:いや~、私の場合はバブルのときは金融機関の手足として動いていただけなので、そんなにチャンスってなかったかもしれないですね(笑)。そこがちょっと不動産鑑定士と税理士とは違うかもしれませんね。それで、先生としてはそのときに偏西風のような大きなものに乗っかった、みたいなところはあるんですか。

本郷:そういう大きな風のようなものがチャンスをつかむには必要でしょうね。

芳賀:でも、そこに乗っかれる人と残念ながら乗っかれない人っているじゃないですか、やっぱり。同じような年代の方でもね。だいぶ違いますよね、その辺は。

本郷:それはみんなに言われるんだけれど、運がいい、っていうことかなぁ。みんな同じなのに、何が違うんですかと言われるけど、何が違うんだろうね、よく分からない。

芳賀:でも先生、やっぱり「こういう方向性に行こう」という何かがありますよね。

本郷:みんなそう言うけれど、最初に事務所開いたときは「食えればいいな」と思って始めているしね。そういうことってみんな後付けだと思うよ、経営者って。

芳賀:後付けですか?

本郷:そう。大体、最初から「でっかいことやりたい」って言って、でっかくなったやつっていないもんね。

芳賀:そうですね、やはりこつこつ積み上げですよね。

本郷:酒飲んででっかいこと言ってるやつで大きくなったのはいないよね。やっぱり身近なところを積み上げていって、そこで気が付いてみたら大きくなっていた、というやり方がいいんじゃないかな。そうすれば、そうしている間に運もぱっと向いてくるとかでしょう。

芳賀:なるほど、なるほど。やっぱり積み上げですよね。

本郷:それで、最初は相続対策をやって伸びていたけれど、ところがバブルが消えてすごく売り上げが落ちたんだよ、その頃はスポットの仕事しか取ってなかったから。当時は2割が通常の顧問料で8割はスポット売り上げで、その8割が(バブルが消えて)なくなっちゃったわけだよね。

芳賀:そうですか。

本郷:そう。だって相続対策ができないような規制されちゃったから。路線価売買の禁止だとか。それで商品がなくなっちゃったわけだよ。

芳賀:それと金融機関も思い切り縛りをきつくしましたね。

本郷:そうするとみんな(従業員が)辞めるし。だからあんまり順風満帆だったわけでもないんだよ。

芳賀:私の記憶では、平成4年、5年、6年あたりが相当きついんですよね。

本郷:あのときで大体100人いた従業員が50人ぐらい辞めたね。

芳賀:そんなにですか。

本郷:そう、半分になって、みんな「もう潰れるんじゃないか」って言って辞めてったけどね。

芳賀:そうですか。そうすると先生、いわゆる冬の時代といいますか、それが数年続くわけですか、人が半分ぐらいになっちゃって厳しい時代が。

本郷:いや、そんなに続かなかったね。1年ぐらいじゃないかな。まあ僕は割り切りがいいから。

芳賀:それは先生、バブル崩壊で金融機関も不動産会社も証券会社も、たくさん潰れる時代にどうやって回復させたわけですか。

本郷:まあ、誰も頼りになるやつはいないからね、そういうときってそういうもんなんだよ。みんな浮足立ってるし、だからしようがないから、僕は自分で営業して歩いて、それで頼み込んで。人間っておかしなもんで、順風満帆のときは仕事をよこさなかったのに、調子が悪いとなるとよこしてくれる、なんてこともあってね。

芳賀:あ、そうですか。

本郷:なので、スポットの仕事の方が儲かるんだけれど、もうスポットはやめて積み上げていったんだね、顧問先を。それで100人が50人になって、そこから1年もかからないうちに売り上げを戻したから。そうしたらかえって生産性がよくなった。そこから今まではそんな落ち込みはないね。明日は分かんないけどね。

芳賀:そうしますと、ある程度ずっと伸び続けて約20年ですね。

本郷:バブルの恩恵も受けたし崩壊の痛手も受けたから、だんだん人間って考えるじゃない。そうすると次のトレンドに何が来るか、を考える。大体10年ぐらいでトレンドって来るから、その波に乗りたいなと思って考えて。

芳賀:バブルの後のトレンドは、先生としては何だったんですか?

本郷:私はインターネットと思ったんだよ。でもインターネットは早過ぎたな。まだまだちょうどITバブルが崩壊したり、2000年ぐらいだったけど。それが会計事務所の商品にならなかったな。そこがうまくいかなかったかな。

芳賀:そうですか。

本郷:今、後付けで思うと(あの時のトレンドは)資産の流動化、SPCだったね。SPCでやった会計事務所のなかには大きくなったところもあるね。そうなると、その分野ではもう勝てない。うちもSPCもやっているけど、ちょっと追い付かない。それと、もう一つは、これは(トレンドの見込みが)当たったんだけれど、税理士法人の制度ができるなと思った。

芳賀:そうですか。これ先生、いつからなんですか、税理士法人は。

本郷:2002年だね。

芳賀:というと、だいたい13年前ですか。

本郷:そう、12~13年前、2002年だと思う。そっちの方は当たったんだけど。

芳賀:当たったっていうのは、先生、合併とかやっぱりグループ化とかそういう意味ですか。

本郷:そう、税理士法人だったら大きくしないと駄目だなと思ったから。

芳賀:なるほど。

本郷:それには監査法人に勤めたのが役に立ったね。監査法人っていうのは今どこもすごく大きくなったけど。

芳賀:巨大ですよね。

本郷:みんな合併でしか大きくなってないのよ。そうしたら、たまたま辻会計との合併の話が来たわけ。僕がもし監査法人の経験がなかったら、税理士の事務所だけやっていたら、合併の決断はできなかった。

芳賀:できなかった?

本郷:だって、それ(合併)はすごくしんどいから。だからこそ(やるんなら)早いか遅いかだなと思ったんだ。だったら早くやった方がいいだろうというのが結論。

芳賀:なるほど。それが先生、10年ちょっと前ぐらいですか。

本郷:2002年。税理士法人つくったときに第1号を目指したけど10番目ぐらいだったかな、かなり早かったよ。すぐ持ち込んだよね。そこからは大体売上げが2倍近くなったでしょう、一緒になってから。

芳賀:そうですか。

本郷:その後2~3年は別々(の事務所)でやったけど、やがて一つに統合して、そうしてる間に地方の展開を始めてね。

芳賀:その地方展開の第1号案件は何年だったんですか。

本郷:それは確か7年ぐらい前だよ。

芳賀:平成19年ぐらいですね。

本郷:それをやったときに、これも二つ根拠があって、一つは毛沢東を思い出したんだね。

芳賀:いきなり毛沢東。どういうことですか。

本郷:毛沢東はどういう戦略取ったかというと、「農村から都会へ」ということだね。農村を攻めて最後に都会を攻めるという。これは地方をまずおさえてからと。芳賀先生もご存じだと思うけど、毛沢東理論というのは経営理論としてうんと使われているんだよね。

芳賀:そうなんですか。

本郷:ウォルマートがその典型で、ウォルマートは最初はとにかく地方しか出店しなかったからね。それともう一つはやっぱりヤマダ電機の山田会長の自伝で、これなかなか面白い本でね、(山田会長が)ヤマダ電機の礎をつくるんだけど、そこにはどういうことが書いてあるかっていうと、地方で稼いで東京で勝負するって書いてあるわけ。

芳賀:たしか前橋あたりじゃなかったですか、ヤマダ電機って。

本郷:そうです。そのころはまだ地方の勢いがあったでしょう。

芳賀:そうですよね。でもむしろコジマ電機の方が有名だったですよね、最初は。

本郷:そう、当時はYKKっていったからね。Kがコジマ、Yはヤマダか、あとケーズデンキ。そのうちコジマが一番大きかったんだけどね。

芳賀:ですよね。テレビコマーシャルもやたらコジマ電機が多かったと思います。

本郷:でもコジマは一番店が小さかったでしょう。早く(大量出店を)やっていたのでそうなんだろうね。それに対して(ヤマダは)大型店をばんばんつくっていたし、あそこは資本政策がうまくて、間接金融でやらずに野村證券と組んでどんどん投資していった。それでファイナンスしながらお店を出して、そのときの話で一番参考になったのが、地方で稼いで都会で勝負するっていうやつだね。

芳賀:まさに毛沢東理論ですね。

本郷:そうすると、たしかに東京だけで商売しているより強いなと思ったわけ。地方で固定費が出るからね。

芳賀:なるほど。

本郷:それが2008年ぐらいのことでね。だけどやっぱり、何年かしてくるとそういう調子が続かなくなるわけだよ。都市化がどんどん進んできて。うちの場合はもともと東京でやっていたから地盤があったけれど、ヤマダ電機は東京に地盤なかったから。だからLABI(ラビ)をつくったけどうまくいかなかったね。だって東京にはヨドバシとかビックカメラがあるからね。

芳賀:そうですよね、もともとありますからね。

本郷:だから、(都市部でヨドバシやビックカメラと激しく競争していた)そうしている間に、地方がおかしくなっちゃった。ということは、戦略的には山田さんは正しかったんだよね。天才的な経営者だと思うんだけれど、でもやっぱりマーケットっていうのはお客さまもいるけどライバルもいるでしょう。(ヤマダ電機にとっては)ライバルが強かったのね。(その点でいうと)僕はもともと恵まれていたね。

芳賀:その恵まれていたというのは、ライバルのことですか?

本郷:いや、うちは東京が基盤だったから。

芳賀:ああ、なるほど。

本郷:地方展開していったけれども、東京を基盤としてやっていたから。やっぱり都市化が進んで地方は収益があがりにくい状況になってきたね。ここ3年、新しく統合したとこはあんまりよくないから。

芳賀:でも先生、この2年ぐらいを見ても、札幌にも行ったり水戸に出したりとかなさっていますよね。

本郷:つまり地方をやらないわけじゃなくて、ある程度のボリュームあるところでやっているし、あと札幌はみんなにいわれて進出したんだよ。

芳賀:(札幌進出については)私もちょっと先生に言ったことあったんです。私が北海道出身なものですから、「先生、何で北海道にないんですか」って言ったことがありましたね。

本郷:そう、北海道だけなかったからね。でも北海道は(収益をあげるのが)難しいね。

芳賀:札幌は新規に出店だったんですよね。

本郷:そう、ゼロから進出したんだけれど、なかなか難しいねえ。

芳賀:そうですか。そうなりますと先生、47都道府県で拠点がないところは。

本郷:山陰がないよね。

芳賀:島根とか鳥取とかそういうところですね。人口も少ないですしね。

本郷:経営資源があれば出るんだろうけれど。出るとすれば広島から出るとかね。

芳賀:広島にはあるわけですね。

本郷:そう。(山陰は)いいと思うよ、競争もすくないから。だけど、そこに人を送り込むのが大変なんだね。東京からだと無理かもしれない。なので、たとえば広島から人を送るとか。そういった経営資源はどうしても足りないよね。

芳賀:そうしますと、私は当然先生の動きを注目させてもらっているんですけれど、やっぱり東京周辺への出店というのがすごく目立ちますね。東京圏といいますか、例えば町田とか丸の内も出されていますし、神田にも、立川にもありますよね。

本郷:それには二つ理由があって、一つには首都圏は出しやすいんだね。人が通勤しやすくて、それが一番大きいね。

芳賀:丸の内っていったら、すぐに行きますよね。

本郷:喜んで行くから。それが一番大きな理由だね。それともう一つは、やっぱり小分けしていった方がいいということ。たとえば株の小分けみたいなことだね。「株分け」ってあるでしょう。株分けの理屈って経営の用語で使えるよね。小分けしてそこに水を撒くと育つから。そういう風に株分けするには、東京だとやりやすいわけよ。

芳賀:そうですね。

本郷:これが地方だと、それをゼロからやらなきゃならない。株分けするとそこから育った分だけ伸びるでしょ。こっち(本体)も少し減るけど、それを(本体から)取らないと増えないんだよね。それがやっぱり株の成長と一緒ですよ。それにはやっぱり近くないとできないでしょう。この二つが東京に集中している理由だね。

芳賀:ああ、そうですか。

本郷:そうだよね。いろんなやり方があるんだろうけれど、プラスの面とマイナスの面あるけどね。若い連中は喜んで(新しいところに)行くね。

芳賀:いわゆる支部長さんですか。

本郷:支部長、あるいは所長だね。そうなれば競争意識も働くし。

芳賀:そうですよね。各店舗での売り上げというのが当然ある、目標といいますか。社内で何か発表とかそういうのはあるんですか。

本郷:いやいや、(発表しなくても)毎月の会議でデータ全部は公表してるから。

芳賀:そのデータは全員見れちゃうんですか、先生。

本郷:そうだね、支部の所長に損益計算書まで渡しているから(それを)所長が見せるっていったら全員が見れるよね。

芳賀:それはそれで支部長としてライバル関係になっちゃいますよね。それと先生、今後の展開についておたずねしたいんですが、たとえばグーグルが会計業務に参入してくるとどうなるか、という意見もありますよね。

本郷:そうだね、誰かがグーグルが出てきたって言ってたね。おそらく、現実的にそういう業界の垣根はなくなっていくだろうね。そうすると、(税理士業務が)専業業務じゃなくなるとすれば、垣根もなくなる。たとえば野村證券が税理士法人をつくったでしょ?

芳賀:はい、野村證券は自前で税理士法人を作ったそうですね。

本郷:あとは、今大きな弁護士の事務所にはタックス部門もあるから、もう垣根はないよ。そのように競争が激化すると、そこでどのように生きるかっていったら、今のうちの規模じゃ生き残るのは無理じゃないかなぁ。

芳賀:え、辻本郷さんのサイズで生き残れないとなったら、ほかの人はみんな生き残れないですよね。

本郷:いやいや、個人の事務所は生き残れるんだよ。だって飲食店でもカリスマシェフのとこは1人でやってずっと続くでしょう。

芳賀:そうすると小規模な事務所でも何とかなるっていう話ですね。

本郷:そう、その先生が頑張っている間は大丈夫でしょう。だってそういう事務所はオーナー自らがお客さんに対応するけれど、うちのスタッフはいわばサラリーマンだから、サービス面ではかなわない点もあるよ。

芳賀:なるほど。

本郷:(うちの事務所は)規模的にいうと中途半端な規模になるんじゃないかな。今は大きいと思っていても、あと何年かすると規模の優位性なくなるよ。

芳賀:そうすると、規模の優位性を保つためにはもっと大きな規模が必要っていうことですか。ちなみに、先生のところは今何人ぐらいいらっしゃるんでしょう。

本郷:いまは1,000人かな。でも倍くらいは必要でしょう。

芳賀:ということは、少なくとも2,000人規模が必要ということですか?

本郷:そうだね、それが下限だろうね。だから、将来的にはさらに再編の波はあると思うよ。

芳賀:そうですか。税理士さんもまだまだ増え続けますもんね。

本郷:みんな税理士が増えたって心配するけれど、むしろ顧問料が下がったとかそういうことは、税理士の数が増えたよりもやっぱりITだよ。だって私がこの仕事を始めたときはそろばんだからね。なので、あの頃は試算表作るだけの技術でそれなりにいい報酬をもらっているわけだよ。だけど今は試算表作るなんて、入社したばかりの新人でも出来るわけでしょう。入力するだけでいいんだから。あるいは、最近は入力も不要でスキャナーで読み込んでそのまま自動仕訳もするとか、そういう時代だからね。だから、もし1万社の会計を処理するならば、昔ならば10倍くらいの人数が必要だったんじゃないかな。

芳賀:なるほど、そうですよね。

本郷:みんな(税理士が)増えたというけれど、確かに増えているけれどそれより影響が大きいのは技術革新、イノベーションだと思うよ。

芳賀:そうしますと、税理士の仕事自体も変わっていくということってあり得ますよね。

本郷:当分は資産税の仕事だよね、やはり。

芳賀:やはり資産税系ですか。

本郷:そう。昔は相続や資産税の仕事は専門性が高くて希少価値だったけれど、今はうちに入社してきた若手に希望のセクションを聞くと、2人に1人は相続か事業承継だからね。一般的な法人の業務をやりたいって来る人いないもん。

芳賀:そんなに多いんですか。

本郷:そう、相続税は基礎控除も上がって需要も結構出てきたから。それが当分のトレンドじゃないかな。

芳賀:はい、ありがとうございます。きょうは本当に先生、お忙しいところありがとうございました。

(追記:)相変わらずといいますか、とても精力的に支部の開拓に邁進され、いまや日本の税理士業界のリーダーというべき存在です。まさに税理士事務所の究極の姿がここにあるといって過言ではありません。若い方々には今は「坂の上の雲」かもしれませんが、目指すべきあり様を勉強するよいお手本です。私と本郷先生の出会いは、たしかかれこれ15年前のビジネス会計人クラブの会合でお目にかかったのが最初でした。その時に名刺交換させていただきましたが、その後はほとんどお話しする機会がありませんでした。今は亡き佐藤弁護士の息子さんであるF1レーサーの佐藤琢磨氏がF1アメリカで3位に入賞したことがありました。そのお祝いの会にお呼ばれする機会に恵まれました。その時に本郷先生が出席されていました。思い切って本郷先生にご挨拶することが叶い、それ以来何かとお世話になっている次第です。