梅 とり

 

先月、65歳を迎えました。フェイスブックでは多くの皆様からのお祝いメッセージを頂きました。改めてお礼申し上げます。

思えば、北海道の片田舎(留萌市)から青雲の志を抱いて、横浜の神奈川大学(第3志望しか受かりませんでした)に何とかしがみついて、都会の生活に入ったのが18歳です。昭和46年ですからまだまだ大学紛争が残っていました。1年生の頃はほとんど授業がなく、校内を青いヘルメットを被った○○派と称する一派がデモっていました。どこそこで集会をやるなどのタテカンで覆いつくされていました。赤軍派による「あさま山荘事件」は昭和47年の出来事です(若い人は知らないだろうなあ)。

東京の人には分からないかもしれませんが、北海道の少年にとって、あの頃の東京行きは、まるで外国に行くようなものだったのです。確か同じようなことを、かの九州出身の「甲斐バンド」の甲斐よしひろ氏も言っていたような記憶があります。

やはり九州の人も同じような距離感があったのでしょう。しかし、九州は長年の文化の厚みが違います。北海道の文化度の方が間違いなく遅れていたと思います。何しろ電話を持っている家がほとんどなかったのですから。

見るもの全てが異質な文化と風俗、そして言葉。

横浜に来て初めて入った下宿屋さんは、何と雑貨屋さんの2階の6畳の和室。トイレは下に行き、外のような内のような洗面所がその隣にあり、2食付きで(その家族と一緒に食べてました)15,000円でした。鶴見区生麦。北海道の空気にはあり得ない臭い。

でもまだいい方でした。友人の下宿は川崎区殿町。駅に降りた瞬間に鼻を衝く臭い。あちこちで火柱?が上がっているのです。まだまだ公害があった時代です。今は東京湾クルーズとかいって工場の夜景を見るのがオシャレらしいですが、隔世の感ですな。

でも、電車に乗って聞く女性の言葉使いが何とも可愛いというか。申し訳ないが北海道の言葉とはかなり違います。それだけで若い私には胸キュンでした(これも古いか)。

そだねー」 なんかは当然ありません。

 

先日、日頃お世話になっている、川越の大手税理士法人代表のS先生とお話する機会がありました。

10数年前に第三者間の土地譲渡価格の時価(低廉譲渡になるかどうか)を巡って、課税庁と争った事案で戦った同志の間柄です。さいたま地裁に行った事件ですが、結果は「半分勝ちましたね」と弁護士先生には褒めてもらいました。

S先生とは偶然にも学年は同級生です。

「芳賀さんも65歳になったのですか」

「なんだ、同じ年だったんだ」

「お互い年を取ったね」

と言いますが、ご本人は大いに意気軒高な方で、ゴルフ・社交ダンス・家庭菜園作り・美術鑑賞等多趣味な方です。色々な話で盛り上がりましたが、何と大きな共通点がありました。

「この年になるとあまり金・金と思わなくなったね。そこそこの給料と、三度のご飯が食べられて、普通の家があれば満足だね。我々はもう適当に引いて、次は若い人を育てることが大切だね」

だったのです。

弊社と違いその事務所は職員さんが70人以上の大所帯です。その先生は成功者です。それなりの年齢を重ねると、同じような思いになるのだなと思って帰路につきました。

4月から、月額68,000円程の老齢基礎年金をもらえるようになります(1年でも遅らせると多少の割り増しがあるので我が女房殿に相談したところ「いつ死ぬか分からないのでもらっておきなさい」というので)。これが何とも嬉しい限りです。

 

いよいよ老後の時代が始まりました。

 

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