【受けた恩義を忘れない・その2】
昭和60年の後半(秋)になり金余り現象が顕著になりました。当時は過剰流動性という言葉で金融機関が挙って不動産・建設・ノンバンク(後には悪の3大業種といわれました。
昭和62年になりいよいよ、バブルの波が不動産、株式の世界に押し寄せました。まるで津波のように東京都内を席巻しました。
その8月には国土利用計画法監視区域が強化され100㎡以上の土地の売買が事実上、行政の許可なしには自由に出来ないという制度になりました。我が不動産鑑定業界もこれに乗りました。金融には不動産の担保評価が必須です。
ちょっと横道に逸れますが、実は不動産鑑定は昭和34年頃にアメリカの鑑定制度を櫛田光男さん(財団法人日本不動産研究所、理事長)という人が日本に広めた方です。起源は担保評価です。つまり、金融機関の融資の際に不動産を担保にとるための制度で、それを不動産鑑定士という資格を作り、その業務を担わせたのが始まりです。
不動産鑑定士は昭和39年に試験制度が発足した当時は、社会的にはほとんど認知されずに、昭和49年の日本経済新聞には「不動産鑑定士では飯が食えない」という記事が出たほどでした。
とはいえ、昭和45年から始まった地価公示制度(これの趣旨は日本の高度経済成長期において公共用地(学校用地・高速道路用地・公園用地・港湾用地等)を公共団体が民地を取得するとき、あるいは公有地を払い下げるときに、いくらが妥当なのかその基準とするための価格を全国に張り巡らせることが必要だったのです。
もちろん、今でも地価公示制度は不動産鑑定士にとっては重要な業務の一つであり、私も30年間これに従事しました(その内10年間は多摩第5分科会の幹事を務めました)。
しかし、土地の価格が上がり過ぎたため当時の大蔵省・日銀は危機感を強め「融資の総量規制」を発動しました。平成2~3年頃の話です。
不動産・建設・ノンバンクは一気に水道の蛇口を締められたおかげで、融資が出来なくなりました。平成4年春から土地の下落が顕著になります。この1年間で都内住宅地の地価下落率は概ね30%程度下がったはずです。1億円の土地が1年後には7,000万円になりました。これは恐怖感そのものでした。それから約10年間は不動産業界の冬の時代です。
当社も金融機関の仕事に頼っていた時代です。さて、これからどうするのか、厳しい経営状況になることは少しは分かっていました。
そこに救世主となるべき一冊の本に出会います。 (次回に続く)

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