私の事業承継(譲った側の立場として)

私が会社を譲った側の立場です。今後創業社長の事業承継に何らかの参考なればと思い公開します。

 

  • 開  業

昭和56年3月、練馬区上石神井の2DKのアパートが独立時の事務所兼住宅(事務所スペースは2坪)28歳。

  • 決断のタイミング

57~58歳頃。65歳には辞めると決めた。国民年金が受給できる年齢でもあるし、区切りがいいので。それに、保険の解約返戻金のいい時期でもある。

中小企業の社長は何の保証もないので、少なくとも辞める15~20年前からは、保険の積み立てで退職金の準備が必要。金額は売り上げや辞める時の給与を勘案して自分が決める。税理士さんの意見も聞くこと。

  • 心  境

社長という地位を捨てるのは、ある種の欲を捨てること(チヤホヤされてきた快感を捨てること)カッコよく生きるためでもある・・・美学か。辞めるのには覚悟とあきらめ」が必要。また、後継者が60歳を超えてしまうので、自分がいつまでもいるとそれに頼ってしまうので育たない。まさに、親離れ子離れである。継ぐ立場の役員も社長も、自ら考える力がないと会社は維持できない。芳賀もいつまでも元気でいられる保証はないので。

また、あきらめるというのは、明らかに極める」ことなので悪いことではない(五木寛之氏の本より)。覚悟は「さとり」。もう十分だという、ただし、まだ悟り切ってはいないのも事実。

  • 準備・後継者

ほとんどしていない。任せること。しかし、それだけではまずいので、マップ経営さんに頼んで社長塾で鍛えてもらっている。

  • 苦労・感じること

イライラすることがあるが、仕方がない。つぶれないように祈るのみ。

  • お客様との人間関係

数年かかる。焦らずにやってもらえればいいのでは。既存のお客様だけではなく、新しい人脈を作るのも必要。

  • 展  望

今後は会長としての役割を果たす。広告塔として会社を売り込む。細かいことはやらない。いやな人とは付き合わない。自分の価値観の合う人とは積極的に付き合う。

  • 何故この人を後継者にしたか

私にはない精神的な強さがある。悪く言えば鈍感力。私は気を使いすぎるので弱い。疲れる。税務的な仕事が多いのでタフさが必要である。

  • 求められる力

社員からの信頼性。お客様からの信頼感と安心感。東京アプレイザルに頼んだら何とかしてくれそう。

  • 素  質

私への忠誠心があった。良くも悪くも言うことを素直に聞いてくれた。だから信頼出来た。

  • 役割分担

芳賀は対外的な営業・PR部隊(歩く広告塔の役)

鑑定案件の相談(まだ鑑定士としての能力はあると思っているので)

新規事業開拓に全力

柳澤は内部統制(この8ヶ月でもいろんな問題が起きた)

銀行交渉、新人採用(現在は家賃交渉・関連会社設立の交渉)

トラブル処理などの重要案件に私は全く立ち会わない

  • 期  待

1年目なので過度の期待はしない、維持してもらえればいい(実は神風が吹いて大型案件が舞い込み、息をついたこともあり、柳澤はツキに恵まれていると思う)。

  • 付き合い方

社長を立てる。芳賀は出しゃばらない。役員が3人いるが役員会には出席しない。

  • モデルケース

タクトコンサルティング会長の本郷尚先生の生き様(ご自分の分を弁えており、参考にさせてもらった)。

  • 会計事務所の事業承継

所長にお客さんがついているので、引継ぎは難しいと思う。後継者や担当者が心の引継ぎをどのようにやるのかが課題。

  • 財務状況

借金は少ないほうが良い。幸い、当社も事実上の債務は社債のみで、銀行借り入れはほぼゼロである。多くの借金をしないと会社は成長しないとの論もあるが、やはり少ないほうが良い、と思う(だから大きくなれないのかも)。

  • 株  式

当社は芳賀が52%の株をもっており、外部株主が多いので、課題は残っている。ただし、口出しはほとんどしない。

  • 退 職 金

それなりの退縮金をいただいた。税務上の否認事例もあるので経営面の重要判断は一切しない。代表権のみならず取締役も退いた。今は一般社員を貫く。会社がどうなるか心配であるが、任せた以上神のみぞ知る。会長という肩書は芸名か源氏名。「会長」という名でお店に出ています。

 

余談:池袋の母娘の死亡事故を見るにつけ、あまりにかわいそうで、この世に神・仏は本当に居るのか疑問に思うこの頃です。