森友問題に端を発する財務省ぐるみの公文書改ざん事件や、大手建設会社のリニア談合事件にしても、悲しいかな男社会の組織に忠誠を誓わざるを得ない日本の現状を現しています。
しかし、こんなことは例外ではありません。電通、東芝、三菱自動車、スバル、日産、などの事件も最近のことです。
あの憎々しい国会答弁で安倍総理の盾になったといわれる佐川前国税庁長官にしても、単に一人の中年男です。家に帰れば(帰れるのかどうか)ただのお父さんです。国会での証人喚問など、本当に気の毒な、としか言えません。大きな力があの人を苦しめたことはほぼ察しがつきます(擁護しているわけではありません)。
とはいえ、その立場でそれなりに影響力を行使して人を使い、良い思いもしたのでしょう。そのツケが今になって回って来たということでしょうか。でも前任の上司は何のお咎めもなくやり過ごす、こんな理不尽さを感じているのでしょうか。「俺は運が悪かった」と。
会社や役所に行けば、生身の体に兜・鎧で身を包み、無理をしているのが多くの男どもです。女性もか(もちろん私もその一人です)。しかし、鎧や兜は自分の身を守るためにあるのであって、他人を守るためにあるわけではありません。であればそんなに無理を(他人の盾になるなど)して、仕事に命を懸けるようなことはしてはなりません。人はなんだかんだといっても、その城を離れればただの生活人です。一般人です。やはり家族、自分の命が大事です。自殺をした方がいる等の報道を見るにつけ、この事件の重大さが分かります。
話は変わりますが、詐欺を働いたり悪事を働いた多くの人々は、このような忸怩たる思いを持って生きているのでしょうか。人の痛みを感じているのでしょうか。おそらく違うはずです。そんなことに思いを馳せる人は悪事とは無縁でしょうから。
人は何のために生まれて来たのでしょうか。そして今、何のために存在するのでしょうか。人を騙すことや、傷つけることが目的でしょうか。
絶対に違います。理想論かもしれませんが、やはり人が存在する目的は、周囲の人から信頼され続けること、喜びを与え続けることだと思います。
「あなたと出逢って良かった」と言われる存在になりたいですね。
正直であり、謙虚であり、欲張らないことでしょうか。ただ、私もウソはたまにはつきますが(ウソも方便などと言って)。
今回の森友事件を通して、組織という目に見えない大きな力の前に、あるいは理不尽な要求に対して、人はどのような対応をすべきか、その矜持が問われていることを肝に銘じたいものです。