不動産の価格バブルは、古くは田中角栄元総理が唱えた列島改造論(昭和47~48年頃)で、この2年間で土地価格が数倍になったというのが始まりと言われています。

土地神話(土地は右肩上がりで上がり続け、下がることはない)の始まりです(本当は、もっと古い昭和30年頃から、日本の経済成長とともに土地価格が上がり始めてはいるのですが、あまり古いので飛ばします)。

次が昭和52~54年頃のバブルです。これはほとんど取り上げられていませんが、この3年間で世田谷区や練馬区の住宅地は2倍になりました(私が不動産鑑定士になる前の丁稚時代でした。その頃は中古住宅の査定業務をやっていたので鮮明に覚えています)。坪50万円が100万円になったということです。原因はよく分かりませんが、人々の所得の上昇と首都圏に大幅な人口流入があったからでしょう。団塊世代の旺盛なる実需があったということです。

その後、4~5年は土地の低迷期が続きます。ところが、昭和60年頃より輸出大企業を中心とした金余り現象が起こります。本業で儲かったお金を銀行に預けると銀行は貸し出しをするしかありません。手っ取り早いのが不動産融資です。今と同じような構図です。不動産・建設・保険業界はこぞって不動産投資に走りました。当然、全てと言ってもいいほど不動産・建設業者はこれに乗りました。

昭和62年夏ごろがピークです。銀座の三越前は坪2億、いや3億か。田園調布は坪1,500万円、赤坂の住宅地は坪3,000万円。さすがに当時の国土庁は規制に乗り出します。国土利用計画法(国土法)の監視区域制度です。不動産業界にとっては天敵のような法律です。100㎡以上の土地取引は区役所、市役所のお墨付き(不勧告書といいます)が必要という、とんでもない制度でした。これに関与できたのが我々、不動産鑑定士でした。鑑定業界にとっては夢のようなありがたい制度でした(平成7年で歴史的役割を終え?一応終了しました)。

この法律で価格上昇の天井に蓋をされたので、徐々に値を下げて行きます。最も高騰した場所では10分の1に下げたと思われます。我が地元の練馬区の住宅地もピーク時の4分の1に下がりました(買おうと思った17,500万円の建売住宅が5年後には5,000万円台になりました。その頃は、プロはこれがバブルだとは思っていませんでした)。

巷間いわれている金融機関の不良債権は100兆円とか(はっきりした数字は不明です)。

時は巡って平成17~19年頃のバブル再来です。外資が日本の不動産市場の割安感に目を付けた外資バブルです。収益利回りが一気に低下しました。銀座の収益物件が3%を切ったなどの情報が入って来ました。それを聞いて私はバブル注意報をこのニュースなどで盛んに流しました。ちなみに昭和バブルの時代は銀行金利8%で収益利回り1.5~2%程度。つまり完全な逆ザヤです。この時代は家賃収入はどうでも良くて、とにかくキャピタルゲイン(値上がり)のみが目的でしたから。つまり投資のイロハを知らなかったのです。

平成20年9月、リーマンブラザースが倒産するという大事件が起こりました。日本もこれの影響は甚大だったことはあえて言いません。その後ご存知の23年に東日本大震災があり、5年間程の低迷期を迎えました。こうして過去に大きなバブルを3回経験した教訓は生きているのかといえば疑問です。

またぞろ、都心部を中心にした収益価格は高騰しました。事務所や店舗の賃料は確かに上昇してはいますが、その収益性を上回る価格が現出しています。やはり都心部の一等地は3%程度(ネットです)の利回りになっています。昔と違って、マイナス金利だから十分耐えられるという議論もありますが、何しろ不動産はリスクの塊です。1~2%程度のプレミアムなんてあっという間に吹き飛びます。

逆に売るなら今です(理由のないものは売る必要はありません)。世の中は広いです。いろんな事情や価値観で動いています。あの昭和バブル時にスッ高値で全部売ったという人がいます。もちろん税金を払いキャッシュポジションを増やして。下がるのを待って買い出動したということです(この待つ期間が難しいのも事実)。多くの不動産事情通(私の周りですが)は既にピークは越えたと言います。昨年夏かなという感じです。

歴史は本当に繰り返します。時代は巡ります(中島みゆきを少しパクリました)。

目利千人、○○千人といいます。

 

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