司会: 試験に合格されたのが大学を卒業された年というお話でしたよね。そうすると、大学卒業から試験合格までは時間が空きそうですが、その間はどうされたのですか?

芳賀: 当時の試験の仕組みは、試験が7月にあり合格発表が10月ですので、3月に大学を卒業してから試験・合格発表までの期間は、繋ぎとして生活のため保険会社に就職をしました。

司会: 保険会社に就職ですか。しかし、仕事をしながら試験勉強をするということですよね。大変なことですね。

芳賀: そうなんですよ。しかも、就職してしばらくすると、上司から草野球のお誘いがかかってしまったんです。野球は経験がありましたので、毎週土日に野球に駆り出されてしまいました。当然、勉強が出来なくなりますよね。成績がどんどん落ちました。

司会: 出来るはずの土日に勉強できないわけですから、成績が落ちるのは必然ですよね。

芳賀: また、平日の仕事も、飛び込み営業をしなければならないので、大変でした。それに耐えられなくなってしまい、6月20日に会社を辞めてしまったんです。この日付は、今でも覚えています。

司会: このままでは、試験の合格が望めないという状況ですしね。

芳賀: そういうことです。残り一か月半、死に物狂いで勉強しようと思いました。若いから後先考えていませんでしたね。それでも、何とかギリギリで合格出来ました。

司会: 自らを背水の陣に追い込んで、絶対に合格してやろうという強い想いが試験合格へ繋がったのでしょうね。若いとはいえ、そういう状況に自分を置くのは、難しいことですよね。その後、合格してからはどうされたんですか?

芳賀: 合格後は、たまたま知り合いだった方に、横浜の不動産会社を紹介していただいて、そこに入社したんです。不動産鑑定士は、試験合格後にまず2年間の実務経験を積まなければいけないのです。ただ、入社後しばらくしてから気付いたのですが、その不動産会社は鑑定業者の免許を持っていなかったので、実務経験にはならなかったんですよ(笑)。

司会: それは、大誤算ですね(笑)。その会社には、どれ位の期間いたのですか?

芳賀: 1年1か月位いたと思います。ただ、さすがに実務経験にならない会社にいつまでもいるわけにはいかないなということで、実務経験になる会社を探したんです。そこで、大学の先輩である飯田先生の国栄興業株式会社という鑑定会社に入りました。

司会: 国栄興業で、実務経験を2年積むために勤務されたわけですね。しかし、実務経験を積むために勤務すると聞くと、激務を課されるようなイメージがありますね。

芳賀: とにかく所長の言う通りやっていないと、実務経験修了のハンコを貰えないわけですからね。ですから、私の周りの合格した人間は皆、安い給料で激務をこなしていましたね(笑)。

司会: 国栄興業では、実務経験に必要な2年間のみ勤務されたのですか?

芳賀: いえ、4年間勤務しました。2年の実務経験を積んで、ハンコの押された書類を国土交通省に提出すると不動産鑑定士補になれるんですが、当時はそこからまた1年の実務補習のようなものが必要だったんです。

司会: そうすると、合計で3年必要になるのですね。

芳賀: そうなんですよ。その3年の後に3次試験が受験できることになっています。ハードルが更にあったんです。

司会: 3次試験もあるのですね。どういったことをやるのですか?

芳賀: 出されたお題に沿った鑑定書を3時間以内に書かなければいけません。時間内に完成させなければいけないので、思いの外大変です。

司会: 時間内にというのが、厳しそうですね。そこで、落ちる方というのも結構いるのですか?

芳賀: いますね。私の時で合格率は50%を切る位だったと思います。

司会: 50%を切るんですか。かなり低いですね。本当に大変な試験ですね。

芳賀: 当時は、本当に必死でしたね。