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東京アプレイザル物語

4 弁護士への憧れを抱いて

司会: 芳賀先生のお人柄を紹介するために、子どもの頃のエピソード等をお聞かせいただけますか?

芳賀: 子どもの頃ですか。一言で言いますと、まぁ裕福では無い少年時代ですね(笑)。父は見た目は筋骨隆々なのですが、持病があり、なかなか定職に就けないような状況でした。生まれが炭鉱の町でしたので、父も当初は炭鉱で働いていましたね。

司会: 生まれは、どちらなのですか?

芳賀: 北海道の留萌市というところです。その郊外に大きな炭鉱があったんです。炭鉱が閉鎖になる昭和30年代まで、父はそこで働いていましたね。ただ、持病のせいで、炭鉱の花形であるトンネルの中を掘る作業が出来なかったんですね。そういう意味で一人前にはなれなかったんです。

司会: お父様はその後は、職を色々と変えてきたのですか?

芳賀: そうなんです。土木作業員をやったり、商店もやりましたね。なかなか安定しませんでしたので、母がアルバイトで働きに出ていましたね。当時はそのような働き方を北海道の言葉で「出面」と言っていましたね。ただ、私は一人っ子でしたので、生活に大変苦しむという程ではなかったですね。

司会: 一人っ子ということは、可愛がられて育ったわけですね(笑)。

芳賀: ええ、だいぶ可愛がられたなという自覚があります(笑)。その父も63歳で病気で亡くなりました。その後、私はというと、大学入学で初めて東京に出ていくことになります。元々弁護士になりたいという願望が強かったものですから、法学部に進みました。

司会: なるほど、大学進学を機に東京進出というわけですね。ちなみに、弁護士になりたいと思われたきっかけというのはあるのですか?

芳賀: それは、ある事件を知ったことがきっかけですね。当時、青年法律家協会(注2)に所属していた宮本判事補が最高裁から再任を拒否されるということがあったんですよ。いわゆる「宮本判事補事件」です。

司会: 聞いたことがあります。有名な事件ですよね。

芳賀: そうですね。裁判官というのは10年が任期で、それを終えると最高裁によって再任され継続していくのが普通の流れなんです。ところが、この宮本判事補は、最高裁から再任を拒否されました。宮本判事補が青年法律家協会に所属していたことが要因となっていると言われていたのです。この事件を知った時に、司法の世界には、理不尽だと思わされるような問題があるのだなと思い、興味を持ち、弁護士になり、そういう問題に立ち向かえっていきたいと漠然と思いましたね。

司会: そこは、裁判官でなく弁護士なのですね?

芳賀: やっぱり、ドラマや映画でも題材にされることが多いように、市民を守るという意味で弁護士は格好良いですし、素人としては憧れるじゃないですか(笑)。

 


 

(注2)青年法律家協会とは(青年法律家協会弁護士学者合同部会HPより)

青年法律家協会は、1954年、憲法を擁護し平和と民主主義および基本的人権を守ることを目的に、若手の法律研究者や弁護士、裁判官などによって設立された団体です。

 

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斎藤紀明が斬る

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